モンタナ日記

外国かぶれのガイジ陰キャキモオタが己の欲望と気持ち悪い趣味について語ったり無い脳みそを使って和訳したりするブログ

ショタのチンコについて

いきなり本題に入りますが、「おねショタ」を想像してみてください。できましたか?

 

おはこんばんにちは、モンタナです。

今日の昼ごろ、いつものようにぼーっとしながら人生の意味や過去について後悔していたら、ふと「おねショタのショタがちんこがでかかったら、意味がないのでは?」と思いました。

 

僕はそんなにおねショタに執着してる訳でもありませんし、好きっちゃ好きですがそんなに大好きかと言われるとそうでもありません。

トップ50の内17位くらいです。

 

僕の知っている限りでは、「おねショタ」というものは基本「おね」側の女性が「攻め」であり、「ショタ」側の男の子が「受け」であると思うのです。

 

そしてこういった性行為で男性側の性器、チンポコは終始欠かせないものであります。

受け側のショタのチンポコが攻め側を圧倒してしまっては、おねショタの基本である上下関係といいますか、それが崩壊してしまわないでしょうか?

 

みなさんがこの記事の最初に思い浮かべた「おねショタ」はどうでしたか?女性が攻めの方にいたはずです。

基本の関係がもはや崩壊しているのに、それを「おねショタ」と呼んでしまうのは少し違うと思うのです。

女性側が終始ショタ側をリードしてあげるのが、僕は正当なおねショタであると考えます。

ショタが攻めになってしまう場合を、「ショタおね」と仮に名付けましょう。

 

☆巨根ショタの需要について☆

本日、おねショタやショタおねに関係なく、ショタのチンポコがでかい方がいいか、というアンケートをツイッター上でとりました。 

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4分の3を否定的な選択肢にしたにもかかわらず、四捨五入して40%ほどの人が巨根ショタを認めているのです。僕はショタおねができてしまう理由はここにあると思います。

チンポコがでかかった場合、女性側が不感症のガバマンビッチでない限りはショタが攻めになってしまいますよね。

 

また、チンポコの大きさに関わらず性知識を持った悪ガキをショタ側にするのも、ショタおねを生み出す原因になりかねません。

しかもこの場合のショタおねは、チンポコがでかい場合よりもフラストレーションが溜まります。

「俺はこのキャラの攻めが見たいのに、なんたってどうだっていいクソチビガキがウキウキしながら女を犯してるんだよ!失せろボケ!」となってしまうからです。シコシコ中にイライラさせられるのは最悪ですよね?

 

お姉さんとショタの絡みだからといって、一口に全ておねショタとしてしまうのは良くないと思います。住み分けのためにも、今回の場合「ショタおね」としたようにジャンルを分けるべきだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんで僕は高校を卒業しても、成長せずにこうやってロクでもない内容のうんこ記事を書いているのでしょうか?
僕の人生とは一体なんなんでしょうか?
なぜ僕はこんなブログを運営しているのでしょうか?
時々、10年前の自分のことを思い出します。10年前の僕は将来こんな事をするだなんて夢にも思ってませんでした。それこそ希望に満ち溢れていたはずです。
僕は時々、ロクでもない大人を見て「尊敬できる大人になれよ」と思ってきました。昔の僕は今の醜い惨めな姿を見て尊敬できるでしょうか?
僕はもう無理だと思いますが、このブログを読んで、このクソ記事を読んでくれた皆様は、どうか現代の若者に憧れられる、尊敬される、真似をしたいと思われる立派な人になってください。

それだけ、よろしくお願いします。